志村けんさんがコロナウイルスに侵され亡くなったニュースは、日本中を震撼させました。
昨日の追悼番組を見て、私は深く反省したことがあります。
なぜ、私は志村けんさんの追悼番組を見て反省したのか
志村けんさんのコントは最高に平和で面白かった。
昨夜の追討番組を家族皆で見て、お腹を抱えて笑い、こんなに面白かったんや!と色あせない面白さに感動し涙しました。
ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」は、人気番組で日本中のお茶の間に笑いを運んだ楽しい番組でした。
「ドリフ大爆笑」は、娘たちの時代のゴールデンタイムに放映されていたと思います。
再放送なども見ているので、放映時期が自分の世代だったのか、娘たちの世代だったのか区別できなくなっています。
自分も無我夢中で駆け抜けてきた人生ですし、志村さんも、それほど長い間お笑いの世界に君臨した方でした。
それらの番組を私は、娘たちに見せなかったのです。
お受験をさせることに必死で、お笑い番組なんてもってのほか。
夜、塾から帰ってくると遅い時間、宿題もあるし、お風呂にも入らないといけない。
TV番組なんて見ている時間も余裕もなかったのです。
東京に住む次女が、夫婦で志村けんさんの追悼番組を見て、二人共、親に見せてもらえなかったという話になったらしいです。
婿も、中学校から全寮制に入り、週末しか実家に帰れない子供時代を過ごしたそうです。それでも、二人共大爆笑で追悼番組を見たようです。
この喪失感は一体何なの?
一緒にいる10歳の双子の孫は、「天才!志村どうぶつ園」を毎週楽しみにしていて、私もチラチラと見ていました。
全国の子供たちは、どれほど寂しく感じていることでしょう。
人は、亡くなった時、どれだけ多くの他人に喪失感を与えるかで偉大さが測れるのではないでしょうか。
志村けんさんの死は、多くの海外メディアからも惜しまれるニュースが伝えられています。
年月の流れに逆らえず、往年の大女優や大物俳優、タレントが他界していきます。
それでも、今回の志村けんさんの死ほど喪失感を感じたことがありません。
志村けんさんのファンでもなかった私が寂しいのは何故なんだろう。。
世界中を脅かせているコロナへの恐怖心。あまりにも急な展開への驚きと絶望感。
これから、終わりの見えない大きなうねりに身を委ねなければならない不安。
そんなことに起因する寂しさがあるのかも知れません。
厳しい激動を乗り越えなければならない今
コロナウイルスとの闘いは、始まったばかりで、いつ終息するか先が見えていません。
不安で閉塞された月日が待ち受けています。世界中の経済が壊滅状態になるでしょう。時代が大きく地殻変動する真っただ中にいる気がいたします。
今までの価値観が根底から覆される時代になるかもしれません。
こんな時代に求められるのは、人間力とでもいうのでしょうか。
固定観念に縛られない、柔軟な思考と時代を読み取る感性や順応性が必要だと思います。
AI の時代に生き残れる職業は何?と話題になったのは、もう一昔。
アフターコロナに生き残れる職業は何?となることでしょう。
さいごに
学校の勉強をしっかりして、偏差値の高い有名校に進学して、一流といわれる企業に就職して安定した生活をする、なんてもう二昔前の幻想。
日本の今の学校では、お金の稼ぎ方など教えてくれません。親の仕事は子供をしっかり稼いで生きていける人間に育て、親から自立していけるように育てることだと思います。
そして、愛や人情豊かな大きな人間に育てられたら素晴らしいことだと思います。
でも、欲を出すときりがありません。
生きてるだけで丸儲け。コロナで死んではならないです。
親・子・孫の代まで長く、人々に笑いと癒しを与え続けてくれた志村さん。
バカ殿様を娘たちに見せなかった昔の自分を叱ってやりたい気分になったり、コロナウイルスで将来が不安になったり、色々交錯した追悼番組でした。
ご冥福をお祈りいたします。