我が家は昨年から新聞を取らなくなりました。
妹が、ためになる記事や感動する記事を切り抜いて、時々持ってきてくれます。
泣けて泣けて、涙でグシャグシャになった小学1年生の作文を紹介させていただきます。
おとうさんにもらったやさしいうそ
佐藤 亘紀 茨城県 1年 読売新聞記事
ぼくのこころにひびいたことばは、「おとうさんはちょっととおいところでしごとをすることになったから、おかあさんとげんきにすごしてね。」です。
そのときぼくは二さいでした。
とても小さかったのでちょくせついわれたのはおぼえていませんが、いってくれたときのどうががおかあさんのスマホにいまでものこっているので、すきなときにきくことができます。
このふつうにおもえることばがぼくのこころにひびいたりゆうは、じつはこれがおとうさんがついたうそだったからです。
このことばの一しゅうかんごに、おとうさんははっけつびょうでしんでしまいました。
そしてこのことばをおとうさんがのこしたのはびょうきがわかってにゅういんした日でした。
おとうさんはあえないあいだにぼくがかなしまないように、わざとうそをつきました。
うそはふつうよくないけれど、これは、おとうさんがぼくのためについてくれたやさしいうそだとおもいます。
このことばをどうができくと、おとうさんにあってみたくてすこしかなしいきもちになります。
でもかなしいだけじゃなくて、かなしませないようにうそをついてくれたおとうさんのやさしさをおもって「がんばろう!」とおもえます。
おとうさんがしんでしまったことはしっているけど、おとうさんのうそがほんとうになって、いつかよるおそくにドアのまえで「ドアをあけて。かえってきたよ!」といっているおとうさんにあいたいです。
こうおもえるのも、おとうさんのやさしいうそのおかげです。
ぼくからおとうさんにつたえたいことがあります。
「おとうさん、うそがばれてるよ!だってまわりにびょういんのどうぐがいっぱいあるし、おとうさんがよこになっているし、めからなみだがちょっとだけでているし、こえがさびしそうだから。」
でもぼくは、だまされているふりをしつづけようとおもいます。
おとうさんがやさしいうそをついてくれたおかげで、ぼくのこころはつよくなれています。
これからもおとうさんのことばをまもっておかあさんとげんきにすごしたいです。
おとうさん、やさしいうそをありがとう。
二歳の息子を残して、死んでいかなければならないお父さまは、どんなに無念だったことでしょう。
お母さまが懸命に息子さんを育ててこられて、健気でたくましい聡明なお子さんに成長されたことが文章から読み取れます。
母子が寄り添って前向きに生きてこられた様子が目に浮かぶようです。
今日は3・11
東日本大震災から今日で10年です。
被災して、悲しみに打ちひしがれた人々は、現在どうされているでしょうか。
上の作文のお子さんのように、親との悲しい別れを経験して、たくましく成長している若者がいることでしょう。
改めて、運命とか、命について考えさせられます。
私の父も、かつて私たち小学生3人の子どもを残して、ガンで亡くなりました。
父は37歳、母が36歳、兄6年生、私5年生、妹2年生でした。
父の遺した会社が存続したので、経済的には豊かに育ててもらえました。
父と昨年他界した母の血が自分に流れていることに誇りを持っています。
さいごに
昭和、平成、令和と時代が流れています。
おりしも本日、私の5人目の孫が産まれました。(コロナで会えません)
亡き先祖の命が子孫の中に脈々と生き継がれていきます。
作文の佐藤亘紀君、将来、結婚してお子さんが産まれたら、父に見せたかったと残念無念をかみしめることでしょう。
ここで見知らぬおばさんが陰から応援しています。
頑張って歩んでいってください、と願うばかりです。
今、自分が健康で生きていられることに感謝します。
自分のまわりの人たちの心が軽くなるような言葉を投げかけようと思います。
笑顔を絶やさず上機嫌な自分への舵取りをしようと思います。
命に感謝。
平和に感謝。